【特別展】没後60年記念 川合玉堂―四季・人々・自然― 行ってきた

@山種美術館

山種美術館で川合玉堂展が行われると聞いたとき、「前回の玉堂展って去年の頭とか一昨年くらいだったっけ?」と思っていたらなんと4年前!時の経つのは早いものだというよりも、つい最近だったように思えてしまうほど鮮明に覚えていることに驚きました。この時やった日曜美術館も覚えてるもんなあ……。(あと、自分の記憶が4年間抜けてるんじゃないかということにも驚きましたし、ブログを4年やっていたことにも驚きました。もっとちゃんと書こう……)

 

■絵が上手くなりたい人は玉堂展に行くべし。

前回抱いた玉堂のイメージは「景色を人ごと絵に閉じ込めた画家」。そして今回改めて玉堂の作品を鑑賞し、抱いたイメージは「とにかく上手い」。語彙が減ってるとかどうでも良いんです。これに尽きる。

最近Twitterで「(資料や手本を)見て描くのはズルい」という意見を見ましたが、本展を観て「そんなわけねえだろ!?絵が上手くなりたければ見ろ!(できれば実物を)観察しろ!そして写生しろ!!」と思いましたね。玉堂があんなに上手いのは、ものすごーく観察して描きまくってるからです。

絵が上手くなりたい人は玉堂展に行くべし。行って、彼が15~17歳の頃の写生画巻を観ましょう。見て描きまくった結果がこうなるのなら、未来は明るい。絵を描くのが好きで、上手くなりたいと思っている人の背中を押してくれる、それが川合玉堂展です。

※写真は美術館の許可を得て撮影しています。

 

 

■川合玉堂―四季・人々・自然―を観てきた

 

川合玉堂とは

川合玉堂(1873-1957)。小学校卒業後に京都の画家・望月玉泉に師事。円山四条派の流れをくむ幸野楳嶺の画塾に移り、門下であった竹内栖鳳らと切磋琢磨する日々をすごす。22歳で第三回内国勧業博覧会に入選。楳嶺の没後、内国勧業博覧会にて東京画壇の橋本雅邦の絵に一目ぼれ。妻子を連れて東京へ移り住む。
以後、狩野派・琳派・西洋画なども研究しながら自己の画風を突き詰めていった。その傍らで、文展(今の日展)の審査員を務めたり、東京美術学校(今の藝大)で教鞭をとるなど広く活躍する。
その後1917年には帝室技芸員に命ぜられるなど、画壇の中心的存在へ。また、1940年には文化勲章を受章した。
戦時中の疎開先とした西多摩の御岳(現:青梅市)を終の住処とし、日本の原風景を描き続け、自作の和歌や俳句も精力的に刊行。1951年には文化功労者となる。1957年没、83歳。

……こう書くと「すごいできる人だったんだなあ~」というところで終わってしまうのですが、作品はもちろん、玉堂本人の字、俳句、手紙などを鑑賞しながら上記の人生を追っていくと、ものすごく深みがあるんですよ。なんつーか、途中で「よかったねえ、よかったねえ」って泣けてきたりするので、やっぱり経歴だけじゃわからないことっていっぱいあるよね……。

 

●構成・見どころ

タイトルにもありますが没後60年の記念回顧展です。初期から晩年までの70年にわたる画業を、代表作や親しい人々との交流から全3章で探っていくオーソドックスな構成です。

  • 第1章……若き日の玉堂―修学の時代―
  • 第2章……玉堂とめぐる日本の原風景―四季・人々・自然―
  • 第3章……素顔の玉堂

見どころとしては、≪早乙女≫≪宿雪≫、最後の日展出品作品≪屋根草を刈る≫などの代表作を中心に85点が一堂に会しているところが大きいと思います(しかもそのうちの56点は山種美術館所蔵)。まさにベストアルバム的なキュレーション。
あとは作品と人柄がリンクするエピソードが満載なところでしょうか。孫が生まれた時のエピソードなんて幸せ過ぎて泣けるの……。
そうそう、玉堂は字もめっちゃ上手いんですよ。初期の落款からして「お!」って感じ。晩年は書画が充実してくるので、その辺も面白かった。

しかし最大の見どころは何と言っても日本の原風景を表現しているところでしょうか。風景を見まくって愛でまくって描きまくった結果、心象風景をしっかり描けるようになった玉堂。玉堂が亡くなった折には鏑木清方をして「日本の自然が、日本の山河がなくなってしまったように思う」と言わしめたといいます。

個人的にノックアウトされたのは、雨の描き方。第2章で写真を交えて紹介しますが、「雨としての水」と、「そうでない水」を玉堂は完璧に描き分けます。また、靄ひとつとっても、時間帯や条件で全く違う表情を見せたりもする。清方じゃないけれど、まさに日本の自然を描き切ることができた稀有な画家だったと言えるでしょう。

 

●第1章 若き日の玉堂―修学の時代―

展覧会のテーマ的な絵を一番初めに持ってくるのが山種流。

手前:≪鵜飼≫
山種美術館蔵
明治28年 22歳作
第4回内国勧業博覧会展

山種美術館ではお馴染みのこの絵ですが、改めて年齢を見るとビビる……。言ったらなんだけど、この時点でかなりスタイルが完成されているんですよね。速水御舟などは年齢と共にスタイルが変わっていっていたけれど、玉堂は若いころにある程度完成されて、それが年齢と共により洗練されていくような感じがしました。

で、どれくらい前から画力が高かったんだろう~?なんて思っていたら、これ。

《写生画巻》(部分)
玉堂美術館蔵 明治21年 15歳
《写生画巻》(部分)
玉堂美術館蔵
明治22-23年 16-17歳

今の中学生から高校生くらいの頃にこんな博物画みたいなレベルの写生をしていたというわけです。しかも梟の羽の色のメモを見てくれ……。こういうところまでこういう観察の仕方をしていたのですよ。(ちなみに玉堂は猿が好きで、本展にもいくつか猿を描いた作品があるのだけれど、観察したいがために猿を飼って一緒に寝たりしていたそうです。)

《写生画巻》(部分)
玉堂美術館蔵
明治22-23年 16-17歳

冒頭でも書いたけれど、「見ること」「見て描くこと」がどれほど大切か。速水御舟も竹内栖鳳も、それこそ円山応挙や伊藤若冲だって写生を大切にしていました。なぜ大切かって、のままに絵が描きたかったら・絵が上手くなりたかったら、とにかく見て描いて練習するしかないってわかっていたからです。

山水画なんてその最たるものだと思います。
風景画と違って実際に目で見て描けるわけじゃない。もちろんモデルにする場所はあるだろうけれど、あくまでも存在しない景色を描くからには自然の造形が頭に入っていないと描けません。想像力と、その想像を具現化させる二つの能力がないと描けない。
例えばいきなり「マイメロディを描け」と言われて、頭の中ではマイメロを完璧に思い描けていても実際描くのは難しくないですか?でも見本があったら描けるし、それを何回か繰り返していたら見本を見なくてもある程度は描けるようになりますよね。そういうことなのだと思います。

《渓山秋趣》
山種美術館蔵
明治39年 33歳

中国的な画題をあくまで日本の風景で描こうとしているのは、やはり写生の延長に絵画を捉えているからではないでしょうか。

《赤壁》
明治44年頃 38歳頃
青梅市立美術館

有名なお題、蘇軾の「赤壁賦」。
もしここに月が出ていたら。水面から岩がのぞいていたら。
今まで対象をつぶさに観察してきた玉堂だからこそ、これらを描くことができたのでしょう。

 

●玉堂とめぐる日本の原風景―四季・人々・自然―

本展のメインとも言えるこの章では、40代から60代にかけての、もっとも脂の乗った時期の玉堂作品を観ることができます。そしてこの章こそ、前章で触れられた写生が礎となって応用され、あらゆる日本画の手法を用いて「心象風景」が表現されるようになったことを確認できる章でもあります。

 

手前:《湖村春晴》、《秋山帰樵》
山種美術館蔵
昭和10年 62歳

このあたりは日本の原風景として珠玉の作。朦朧体とはまた違った靄の表現や、霞む彼方、そしてしんしんと積もった雪の表現が美しいです。とくに《雪亭買魚》は木の肌を表現するための筆の置き方がとても良い……。

《雪亭買魚》
山種美術館蔵
昭和13年頃 65歳

 

 

《紅白梅》
玉堂美術館蔵
大正8年頃 46歳頃

《紅白梅》、見て分かる通り尾形光琳の《紅白梅図屏風》を強く意識した作品なんだけど、紅梅と白梅の配分もとても良いし、右隻の枝ぶりや木がちゃんと元ネタを踏まえた形になっているところがニクいのだ。別アングルから見たような遊び心もあって、オマージュの模範。

枝の間にいるシジュウカラを写実的に描き分けているのも良い。ある意味デフォルメとのバランスが絶妙。

 

そしてちょっと気になったのはこちら。

《雨後》
山種美術館蔵
昭和10年 62歳

この絵の隣の《石楠花》という作品の方が特徴が顕著だったのだけれど、手前のモチーフを大きく見せて奥ゆきを出すのは非常に写真的な構図だし、キャプションにもあったけれど歌川広重の浮世絵に頻出するテクニックだなと思いました(キャプションには狩野派などの漢画系から着想を得たのでは?という解説も)。あまり見ないダイナミックな構図はとても新鮮。このほかに《宿雪》(日本芸術院蔵)という絵があり、それは俯瞰も入っていて、かなり実験的な要素も伺えました。

 

さて、前回の玉堂展で玉堂が描く日本の原風景が最高であること、そしてその絵の中に込められた人物たちへ愛情が注がれていることが伺え、本展でもそれを再確認したのですが……

 

《早乙女》
山種美術館蔵
昭和20年 72歳
疎開先で描いた作品。戦時中とは思えない程、穏やかで清々しく、なにより健康的なかわいらしさに満ちている。

 

――――今回心に残ったのは冒頭にも書きましたが、玉堂の「水の描き方」でした。

水という物質をえらく的確に描き分ける。海と滝の造形とかそういうことじゃなくて、その時の気候や状況を踏まえて水分の種類を巧みに描き分けているんです。
その中でも目を瞠ったのが「雨」
《水声雨声》は水車の水と雨という水の種類を的確に描き分けている。もうタイトルからしてそういう絵なんですよね。それぞれ同じ水だけど違う。そもそもこの絵、雨をそんなに描いていないんです。雨を直接描いていなくても確実に画面の中には雨が降っている。
ではどうやって雨を表現しているかというと、木の描き方で「どういう種類の雨が降っているのか」を伝えているのです。そのテクニックたるや、それこそ自然を観察しまくって描きまくってる人じゃないとできない。

《水声雨声》
山種美術館蔵
昭和26年頃 78歳頃

ちょっとこれだと見えにくいんだけど、木の間に僅かに立ち上る靄を入れることで湿度まで伝えています。一見シンプルな絵なんだけど、ものすごく情報量が多いの。

 

《朝もや》
東京国立近代美術館蔵
昭和13年 65歳

また、この《朝もや》という絵。雨後に出るものとは違う靄を描き、ほんの少しだけ山のてっぺんを染めることで早朝を表現している。で、この他に《残照》という絵があって、それも山の上部だけが赤く染められているんだけど、そっちはちゃんと夕景を描いているんだなってわかるんですよ。一日の始まりの空気と終わりの空気、私の目ではどういうテクニックを使って描き分けてるのか終ぞ分からなかった……。
なんというか、状況を伝えるために過剰に描かなくても、描き方次第で鑑賞者に十分伝えられるんだということを体現しているのが本当にスマートなんですわ。画力が高いっていうのはこういうことを言うんだな~。
絵だけじゃなく、表現するすべての人にとっての「やりたいけれどなかなか到達できない」地点。そこに立っている人の作品って、こういうことなんだろうなあとひしひし感じました……。

 

●第3章 素顔の玉堂

玉堂は様々な人と交流があったようで、そういった友好の証的な資料もこの章には展示されています。また、少年の頃から俳句を嗜んでいたそうで、ここでは晩年精力的に取り組んだ和歌や俳諧も紹介。
梶田半古から「俳句は俗だから和歌にしなよ!」と言われて「う~ん……そうだなあ……」と思って和歌をやるも、やっぱ俳句もやりたいな~ということで、俳句もやりつつ、旅先では和歌も詠みつつだったそうな。その内容も素朴で良いのだけれど、最初に見どころで紹介したとおり、玉堂、字がめっちゃくちゃ上手いの。ほんっと上手い。書道雑誌の編集者が絶賛するくらい上手いです。

《加茂女十三首》
昭和17年 69歳

こちらはかつて同門であった竹内栖鳳が逝去した際、友人代表として葬儀で弔辞をささげるために京都へ行った、その帰りの列車の中で詠じた短歌13首に画を添えたもの。
その時乗っていた列車が「鷗(かもめ)号」だったのと、京都の加茂とをかけて「加茂女」としたのでしょうね。

《八橋》
昭和20年 72歳

東京大空襲で牛込の自宅が消失。婿と孫が焼け跡の片付けをしていたところ、玉堂が絵付けをし、真葛窯で焼いた八橋文様の茶碗が無傷出てきて、疎開していた玉堂の元に届けられたのだそうな。
無傷とはいえ戦火をかいくぐったために煙ったような隈ができた茶碗を「味が出た」とし、「思いがけず美しい景色の茶碗にしてくれた敵をゆるすべきであろうか」と詠んでいます。

《湧く雲》
山種美術館蔵
昭和31年頃 83歳頃

「また湧く雲をあかず見る今日も」。書画ができると自画自賛できるから良いよね……。

「今良寛」と呼ばれた書家・清水比庵とのコラボも最高です。ほかに斎藤茂吉とのコラボもありました。

《先生と私》
川合玉堂(画)/清水比庵(賛)
清水固氏蔵
昭和23-28年頃

 

こんなふうにこの章では書画が多く紹介されていますが、他にも同門であり友人であった竹内栖鳳を連想させるような虎や、先の川端龍子展にも登場した「松竹梅展」に出品された作品など、この章は和やか且つ賑やか……なのですが、メインの展示室の奥にある山種コレクションルームこそ“素顔の玉堂”、ハイライトに相応しい内容になっています。

入って正面にある《屋根草を刈る》。これは、玉堂最後の日展出品作
写真は無いのでぜひ実物を展示室で観てほしいのだけれど、集大成と言うか、第1章から観てきたものがほぼ全て込められている作品です。
自然を愛する目、ところどころに使われた琳派的技法、手前のモチーフを大きく描く構図、その中で生活する人。
現在行われている日展(国立新美術館・~12/4)では、多くの作品が100号近くあるため、それに比べたら小振りかもしれません。けれどこの絵、本当に良くて、うっすら見える青空も、草を刈るおじさんの柔らかい表情も、あらゆるものが心地よい。拙ブログで度々引き合いに出している漆原由紀さん(『蟲師』作者)が好きな人はきっとたまらないと思う。

ところでこの絵には素敵なエピソードが。
当時中学生だった孫に「この絵に足りないものはあるかい?」と玉堂が尋ねると、「花があるのに蝶がいない。秋だから黄色い蝶がいい」との答えが。それを受けた玉堂は、たちまちのうちに3頭のモンキチョウを描いたといいます。

これ、言われて描いたとは思えない程絶妙な位置に蝶がいて、本当に生きているみたいなのよね。玉堂の自邸「偶庵」は茅葺屋根だったそうで、おそらくこういった風景を日ごろ見ていたのだろうということなのですが、それにしても屋根に生えた野草も、それを刈っている職人さんも、職人さんの周りを飛び交う蝶もあまりにも自然すぎるから、本当に本当に日々を愛おしく感じながら観察していたんだろうなとしみじみ感じました。

で、この中学生のお孫さんのお兄さんが生まれた時にしたためた絵手紙がまた最高なのだ……!
孫が生まれたときにちょうど香港に赴任していた娘婿宛ての手紙なんだけど、文面がたまらんの。

《川合玉堂書簡(1930年12月3日付大倉堯信宛)》
昭和5年

“愛らしさ神々しさが描けないけれど機械の写真よりは却って便利でもあるやうです”
小さな命を前にして一人のおじいちゃんとなった玉堂。文化勲章を受章し、文化功労者として顕彰された巨匠とは思えない謙虚な手紙が泣かせるのだ……。同じくこの絵を観ていた方々(小さな孫がいるそうです)が、「すごく良い絵だねえ。こんな手紙もらったら嬉しいよねえ」としきりに話していたのが印象的でした。うん、すごく良い絵だし、絵も言葉も貰った人は嬉しく感じるよね。

他にもこの部屋には飼い猫や、息子(次男)の奥さん、山種美術館創立者・山﨑種二の長女の結婚祝いに贈った吉祥画などが展示されており、玉堂の人柄に触れられたような、幸せな気持ちになれました。

左:《松上双鶴》
山種美術館蔵・山﨑種二の長女の結婚祝いに送った吉祥画
中央:《花をいけて》
玉堂美術館蔵・玉堂の次男のお嫁さん。玉堂にしては珍しい肖像画的な作品。
右:《観世大士》
山種美術館蔵・玉堂はお悔やみの気持ちを込めて仏画を贈ることが多かった。

 

 

●今回の和菓子

玉堂展、「玉堂は何回か観てるからなあ」とか言って知った気になっていたら勿体ないし、良く知っていても改めて観ると「やっぱすごいな」と思うところがあるはずです。何回も言うけど、絵が上手くなるにはどうしたら良いかの根本がここには詰まっているので、そういった希望を持っている方に強くオススメします。

そして恒例のオリジナル和菓子はこの5点。どれも造形はもちろん、餡子がそれぞれ凝ってるんだよ……。私はこの和菓子を担当している「菊家」さんの柚子餡が大好きなので、千寿かな。でも冬の湖畔も気になる……。

そうそう、今回は《鵜飼》が撮影OKの作品になっています。22歳で同題を描いた玉堂。それから40年以上の時を経た66歳の作品。炎の部分に金泥があしらわれていて、角度によって揺らめく様子が美しい。

《鵜飼》
山種美術館蔵
昭和14年頃 66歳頃

 

 

さて、年明けの企画展は春の近代美術館の展示に先駆けて、「生誕150周年記念 横山大観―東京画壇の精鋭―」を開催するそうです。それにあわせて山下裕二先生のトークショーも行われるようなので、気になる方は美術館のホームページをチェックしてみてください。

ところで玉堂美術館、青梅の良いところにあるのよね。この季節は紅葉がきれいだし、冬は冬で趣きがありそう。まだ行ったことがないので、行ってみたいなと思います。

 

 

【特別展】川合玉堂 ー四季・人々・自然ー
●会期:~12月24日(日) 月曜休館
 (前期:~11/26まで 後期:11/28~12/24まで)
●会場:山種美術館
●開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)

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