「タイ ~仏の国の輝き~」展行ってきた

@東京国立博物館
※写真は博物館の許可を得て撮影しています。

微笑みの国、タイ。

タイにはいろんなお寺がありますよね。小皿のようなものをたくさん張り付けたお寺だったり、金ピカのお寺だったり、巨大な仏がいたり、日本の寺院とはまた違う魅力にあふれています。

ただ、ツアーで形式的に回ったり、とりあえずガイドブックに大きく掲載されている寺を見ておけばいいかなという感じで回ってしまうと、なんとなく観光してお終い、せっかく行ったのに記憶に残らないなんてことも。かく言う私も経験があります。

そんなところに「タイ展」

夏休みにタイ旅行を計画している人は、ぜひ行ってほしいっつーか、行くと行かないとじゃ旅に差が出る!!短期講習みたいなものとしてオススメします。
今年の夏には行かずとも、近いうちタイに行ってみたいと思っている人にもオススメ。というのもタイ展は、仏教を軸として、タイ文化の成り立ちから日本との繋がりまでをまるっとカバーしているので、展示を観るだけで現地の史跡を巡る予習がばっちりできてしまうのです。

しかも仏像絡みと言えばのお二人が音声ガイドに登場。

みうらじゅんさんと、いとうせいこうさんと言えば『見仏記』。まだ読んだことがない人にはぜひ読んでほしいくらいの名著オブ名著。読後、仏像への愛が芽生えること間違いなしです。

お二人は以前芸大美術館で開催された「興福寺仏頭展」でも最高のガイドをされていましたが、今回も随所にちりばめられたボーナストラックにて、緩くも鋭い視点で解説してくれました。(正直に言うと、お二人の音声ガイド目当てで行ったのだ……)

 

 

第1章 タイ前夜

タイ展は「タイ」という国が生まれる前から始まります。なので、タイの歴史の最初も最初から知ることができる。この第1章、なかなかにボリュームが多いんだけど、タイって最初はこうだったのか!という意外性に満ちていて面白いです。

で、入っていきなりびっくりするのがこれ。

《ナーガ上の仏陀坐像》
12世紀末~13世紀
バンコク国立博物館蔵

イケメンすぎるナーガ&仏陀
雨に濡れながら修行をする仏陀に対し、自ら雨避けとなった水神ナーガ。苦行のはずなのに涼しく穏やかな笑みを湛えているのは、ナーガの優しさに触れたから?
弱虫ペダルを読んでる人は100%「金城!」と思うことでしょう。予てよりドアマンは美しい男性であるという不文律に等しく、これはタイ展へようこそというもてなしの心と受け取った。そしてもちろんこの仏に対する、みうらさんといとうさんの音声ガイドも最高である。

横からのアングルも良い。後ろからのアングルも必見で、「ナーガ、こうなってたのか!」と驚くはず。

ナーガの祝福をうけたところで本編へ。
現在のタイがある場所には、かつてはいくつかの国が存在していました。この地には地理や世界史でお馴染みのチャオプラヤーという巨大な川があり、また海にも面していることから、物品が入ってきやすい環境にありました。流通はモノのみならず、宗教や文化もこのルートを通じて周辺諸国からやってきたのです(まわりを見てもわかるように、土地柄仏教やヒンドゥー教が入ってきやすい。)

日本が飛鳥時代である6世紀の終わりころ、モン人によるドヴァーラヴァティーという大きな国が生まれてタイの東北部と中部を治めます。この国では大乗仏教や上座仏教、ヒンドゥー教が信仰されました。

ちなみに……
●大乗仏教→「お釈迦様はみんなのことを救いたいんだよ~」という考え。日本に入ってきた仏教は全てがこの大乗仏教をベースにしている。大きなものに乗ってみんなが救われる、で大乗。

●上座仏教→厳しい修行に耐えたもの、敬虔な信徒のみが救われるという教え。小乗仏教とも言われ、大乗仏教と対極の考え方。小乗=頑張った人のみの定員制。

なんとこちら↓菩薩像。この頃の仏像はヒンドゥー教の様式が色濃く見られます。この腰つきとか、カンボジアのバンテアイスレイ遺跡で見かけるものにとても良く似ている。髪型もドレッドっぽくて、我々のイメージする菩薩とはかなり違うことがわかります。

《菩薩立像》
7世紀前半
バンコク国立博物館蔵

ちなみにこちらは観音様。インド全開である。

《観音菩薩立像》
7~8世紀
バンコク国立博物館蔵

 

あと、この宝輪。ドヴァーラヴァティーの中心遺跡では、宝輪がまとまってたくさん発掘されました。もともとインドにおいて宝輪は「車輪が回るみたいに仏教が遠くまで広まりますように」という意味で作られており、仏像が成立する前はこの宝輪や仏足跡がブッダを表す役割を果たしていたそうな。

中央手前:《宝輪》
奥:《宝輪柱》
ともに7世紀、ウートーン国立博物館蔵

アジア各地に仏教が広まったとき、この宝輪も一緒に広まって、仏塔を作ったりする際に象徴としての役割を担っていたとのこと。元祖仏教のインドよりも宝輪がまとまって見つかっているドヴァーラヴァティーでは、宝輪をより重要視していたのかもしれません。よく見ると、かなり精巧な作りです。

こういった技術は頂版などにも応用されたのでしょうか。なにげに出土品にはレリーフものが多く見られます。
レリーフっぽい出土品のひとつである、奉献板。現在のタイで言う“お守り”は、当時寺院に納められていた奉献板が起源だそうな。お守りのご利益は様々で、「モテ守り」や「銃で撃たれない守り」など変わり種もあるっていうから、タイという国が生まれる前からの文化をお土産にするのも面白いかもしれません。

 

この章は本当にいろんな宗教が混じっていて、仏像を見比べるだけでも面白い。日本じゃ絶対拝めないタイプの菩薩がたくさんいて、好みの仏を探すのも良いでしょう。
ちなみに私の好みはこの菩薩。落ち着いた微笑みがたまらんかったです。

《菩薩頭部》
8~9世紀、バンコク国立博物館蔵

 


第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国

いよいよタイ族最初の王朝・スコータイ王朝が登場します。この王朝が興った13世紀は「タイ族の沸騰の時代」とも呼ばれ、多くの文化が確立されていきました。
上座仏教が深く浸透し、固有の文字や文学が生まれ、現在のタイ文化の基礎が築かれた時代です。

仏像を見ると一目瞭然なんだけど、ヒンドゥー教っぽさが抜けているんですね。顔が薄くなっているというか、荒川良々に似てきているというか。

左:《仏陀坐像》
15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
右:《仏陀坐像》
15世紀、ラームカムヘーン国立博物館蔵

この時代の王様に求められる条件の一つが「仏法を擁護していること」でもあるように、第1章で登場した様々な宗教の中から仏教がメインになってきたことが良くわかります。

この章で一番インパクトがあったのが、この仏陀遊行像。これはスコータイのオリジナル仏です。
この独特なスタイルは、仏陀の伝記にある「天に昇って亡き母に説法をしたあと、水晶でできた階段をつたって降りてきた」シーンを再現したものではないかと言われています。

《仏陀遊行像》
14~15世紀、サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵

細かいことはさておても、この流れるような所作。この前の時代のものはヒンドゥーの影響もあってか、仏像の中に「優雅+エロ」の要素があったけど、そこからエロを上手く抜き取った感じが見られます。清廉な優雅さとでも言うのでしょうか。この時代の仏像にはそういう雰囲気が全体的に感じられ、とても中性的。

《仏陀遊行像・仏足跡》
1481年、バンコク国立博物館蔵

こちらの遊行像はかなり前のめりな感じですが、よくみると歩いているところに仏足跡がついている。タイに行くとよく見かける仏足跡ですが、この時代に大きな進化を見せ、複雑なデザインになっていったようです。こうした発展はスリランカから入ってきたもので、タイのお寺の様式がスリランカのお寺に似ているのもこの頃の影響。

 

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都

スコータイ、実は200年くらいしか続かなくて、その後時代はアユタヤー王朝へ移ります。
スコータイ時代に王様の条件として「仏法を擁護していること」が求められていましたが、アユタヤーではそれがもっと進んで、位階制度を持つようになりました。また、クメール文化の影響で王の神聖さを高めるために「バラモンの儀礼」なども登場し、より仏教が政治を含めた国家に浸透していったことがわかります(バラモンと聞くと90年代にジャンプを読んでいた我々にはあの漫画が蘇る……)。

あとは何と言ってもこの時代、金工品がざっくざっく出土しているのが特徴。これはアユタヤーがチャオプラヤー川の恩恵を上手に使って国際都市として隆盛したからなんですが、その他の歴史を見ても分かるように、でかい川や海を上手く利用できる国はやっぱ繁栄してますね。災害に見舞われたり侵略されることも多いけど……。
さっきまで石だったものが金を纏って一気にバブリーになっているのはちょっと笑えます。

《金象》
15世紀初、チャオサームプラヤー国立博物館蔵
《団扇・払子・杖(神器ミニチュア)》
15世紀初、チャオサームプラヤー国立博物館蔵

 

こうやって見ると仏像の顔も少しずつかわってきているし、小さなサイズに対しても細かい技巧が凝らせるようになってます。

《仏陀坐像》
16~17世紀、バンコク国立博物館蔵

 

 

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢

アユタヤーは国際都市として栄えたと書きましたが、その交易相手の中に我が国・日本がいました。

当時この地はシャム猫等でお馴染みの「シャム」と呼ばれ、既に15世紀から琉球を通じての交流があったそうな。朱印船貿易時代その交易は頻繁に行われており、鎖国中に少しブランクは空いたものの、「唐船」と称した船が長崎を出入りして貿易していたというから、幕府はさておき民間レベルでの親交は深かったのでしょう。(この時代、日本とやりとりしていたのはオランダとタイだけなのだ

 

で、中にはシャムに日本人町を作って生活し、日本との交易の橋渡し的な役割をしていた人もいました。
そのうちの一人・山田長政。彼は日本人町のリーダーとして活躍しており、この章では山田長政にまつわる資料、当時の貿易資料、そして輸入品を紹介しています。

《山田長政像》
19世紀、静岡浅間神社蔵

資料ばっかりでつまんないな……と一瞬思うかもしれないんだけど、よく見ると朱印状だとか、当時の世界地図だとか、教科書の図版でしか見たことがなかったものが目の前にあるのが面白い。

《西洋鍼路図 印度洋》
16世紀、東京国立博物館蔵

また、東南アジアやインドに旅すると欲しくなってしまう現地のバティック。本展ではタイバティック(更紗)のうち、今ではもう失われてしまった古い模様を持つものが展示されています

《腰巻緑色木綿地花菱繋ぎ文様更紗》
18~19世紀、九州国立博物館蔵

 

さて、意外なことにタイは日本刀との関りもかなり深い。この時代、海外向けに日本刀がかなり輸出されていたそうですが、タイにいたっては刀だけでなく、戦国時代の終焉により主君を失った浪人、つまり人材自体が義勇兵として海を渡っていたというから驚きました。
当時日本刀はタイにて格式ある神器として扱われていたんだけど、鎖国時代に入ると日本刀が輸入されなくなってしまい、しょうがねえなって言うんで自分たちで作ることにしたんだそうな。

《金板装拵刀》
19世紀、バンコク国立博物館蔵

これらは見様見真似で作られているから、「日本刀」ではなく「日本式刀剣」という扱いになります。その名の通り、本物の日本刀ではなく「日本刀っぽく作ってあります」というものだから。
そんなわけで本来ならば必要だから設えられている部分が、バックボーンの無い地で写さたがゆえに所謂「痕跡器官」というかたち残存している。
例えば「小柄(および笄)」や「鍔に開けられた小柄孔や笄孔」。日本では小さな刃物である小柄や、身だしなみグッズである笄を刀の付属品として鍔に刺していたけれど、タイではそれらは必要ないわけで。でも失くしてしまうのもなんだかアレだっていうんで、全部飾りになっちゃってるんですね。
そしてそのまま受け継がれて、現在の国王の即位式でもそのタイプの日本式刀剣が使われているというから、脈々と続く歴史文化とはかくもいい加減なもの不思議なものだなあと思わずにはいられません。

 

 

第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵

いよいよ最終章に向かうわけですが、その前に、会場にはこの巨大な扉が控えている。

《ラーマ2世王作の大扉》
19世紀、バンコク国立博物館蔵

これはご存知の方、または行ったことがある方もいるかと思いますが、タイの観光名所のひとつワット・スタットの仏堂正面(北面)を飾っていた大扉。

ラーマ2世自らが制作し、「他の奴に同じ扉は作らせてたまるか!」って制作に使った道具を全部捨てたというエピソードからも伺えるとおり渾身の大作なんですが、なんと1959年に香炉から火が移って焼損。一刻もはやく修復しないと炭化でやばいぞ、でもお金が……どうしよう、誰か……となっていたところに住友財団からの支援が。
結構時間経っちゃってるけど2013年から修復がスタートし、その間九州国立博物館も協力をしたりなんかして、無事完遂。門外不出の扉だが、日タイ協力・交流の象徴文化財として本展にて紹介―――という経緯があるそうです。
そう、今年は日タイ修好130年に当たるのです……!

いや、これ、すごいの。とにかくでかい。そしてびっしりモチーフが彫られてる。本堂が須弥山を表すと考えられているので、この扉はその外側にある世界を表現しているのかもしれませんが、まー様々な植物やら動物、そして空想上の生き物なんかもいてすごい。ちなみに裏面には鬼神が描かれています。
本展ではこの大扉は撮影スポットとなっており、雰囲気を盛り上げるために奥にはシーサーカヤームニー仏の巨大写真も。これ見ると、「現地行って実物も見てみたい!」ってなっちゃうんだよなあ。それくらい迫力ありました。

この章ではアユタヤーがビルマに倒されてしまったあと、「アユタヤーの栄光を再び!」というかたちで興され、現在まで続いているラタナコーシン朝を紹介。チャクリー王朝とも呼ばれています(今即位しているのはラーマ10世)。
この時代の美術品は非情に繊細なデザインになっており、アユタヤー時代と同様金を多用しているんだけど、使い方が洗礼されている。

《仏伝図箔絵経棚》
※右は側面
19世紀、タイ国立美術館蔵

 

この中で気になったのがお経。絵がとても鮮やかで、まるで絵本のようで美しい!貝葉経写本もかわいい!! こうしてみると日本の経本とはまた違う趣があり、同じ仏教と言ってもさまざまであることが分かります。

《プラ・ラーマイ経》
18世紀、タイ国立図書館蔵
《貝葉写本・包裂》
19世紀、京都・大谷大学博物館蔵

 

途中産業革命だったり戦争だったりと大きな出来事に見舞われつつも、人々は仏教を大切にし、その戒律を保持してきました。

タイにおいて、仏教は生活の一部であり、人生とともにあるもの。
その歴史の中で王朝が入れ替わろうとも、礎にあった仏教文化は変わらず大切に扱われてきたことこそが、国民の9割以上が仏教を篤く信仰していることに反映されているのではないでしょうか。

最後に、タイにめちゃくちゃ詳しい人にとっては、もしかしたら少しだけ物足りないところがあるかもしれません。展示されているものに関しては大満足だと思うけど、キャプションの説明がビギナーにとって分かりやすいぶん、マニアには優しすぎると感じてしまうかも。
けれど案ずるなかれ。図録がほんっと詳しくて、ビギナーが読んでも理解しやすいし、詳しい人にとっては読み応えある資料集になるし、とにかくあらゆる情報がみっちり載っていて有難い一冊。

図解も年表も、そして専門用語解説ページもついており、何より図版がめっっっちゃ綺麗で、カバーも加工が効いててとても美しいです。

タイ展の図録。深い黒に落ち着いた金色が美しい。中の資料写真もすごくきれいです。

 

冒頭で「なんとなくお寺を回って、なんとなく観光して」と書きましたが、こうやってタイの歴史を仏教文化を通じて見てみると、やっぱりいろいろ知ってから行った方が実の有る旅になるよなとしみじみ思いました。
タイ展、見終わったあとは高い確率でタイ料理を食べたくなりますので、帰りに寄るお店は事前にチェックしていってくださいね。(東博がビアガーデンになってタイ料理の屋台が出る日もあり!HPをチェックして観に行ってください

 

日タイ修好130周年記念特別展 タイ ~仏の国の輝き~

会期: 〜 8月27日(日)
会場:東京国立博物館
開館時間:午前9時30分〜午後5時  ※入館は閉館の30分前まで
(金曜日、土曜日は午後9時まで、日曜日と7月17日(月・祝)は午後6時まで)
休館日:月曜日 (ただし、7月17日(月・祝)・8月14日(月)は開館、7月18日(火)は閉館)
公式サイト:http://www.nikkei-events.jp/art/thailand/index.html

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