「ヴォルス展」行ってきた+自転車のはなし

@DIC川村記念美術館

※4月中旬に下書きしたままうっかりしていた記事のため、季節感がおかしなことになっています。

 

昨年の誕生日に自分へのプレゼントとして、クロスバイクを購入してからそろそろ1年。
必要に駆られて購入を決意したのですが、そういうのを抜きにしても心底買って良かったなあと思うくらい自転車が大好きになりました。

余裕があるときは都内の美術館に自転車で行ったりしているのですが、千葉県内の美術館はまだ千葉県立美術館千葉市美術市川市芳澤ガーデンギャラリーしか行ったことがなく、せっかくだから県民としてもうちょい行っておきたい……と思っていたところにヴォルス展が。
DIC川村記念美術館。佐倉か。家から片道30キロちょい。休みの日にちょっと乗るにはちょうど良い距離ではないでしょうか。

 

この時は前日までの風雨が強く、桜もいよいよおしまいか……と思っていた頃。しかし、まだまだなんとか大丈夫でした。
毛虫が出てきてしまうと自分の自転車シーズンは強制的にオフになるので、これが今季最後のお出かけになってしまうかな?
千葉は工場が多いこともあって大型トラックがばんばん走っているのですが、加えて道幅も狭かったりするので自転車で走るのに適しているとはあまり言えません。路肩も側溝だらけだったり、陥没しまくっていたり、「とりあえず白線だけ引きました」って感じのまともに走るスペースのない道も結構あります。
ロードの人がシャーっと飛ばして走ってたりするけど、道路がいきなり陥没していたりして、道に慣れていないとかなり危険。なので注意して走るべし。(弱虫ペダルの主人公・小野田坂道くんは千葉県民。こんな悪路を毎日のようにママチャリで秋葉原まで行ってたんですね。そりゃハイケイデンスモンスターにもなるわな。)

そんなことを考えながら花見をしたり、神社に寄ってみたり、ゲートボール大会を観戦したりしていたら当初予定していた時間を過ぎてしまったので急いで川村へ。

四街道総合公園で行われていたゲートボール大会
千葉は田舎なので、ちょっと行けばこういう里山的な風景に出会えます。

着いた!

言ったら悪いけど、千葉県以外からは気軽には来難いですよね(千葉県民でも来難いけど……)。
でも、東京駅から直通バスも出てるし、最寄りの佐倉駅からは無料シャトルバスも出てるし、駐車場は広いし、バイクラックも完備だから決してアクセスがすごく悪いというわけでは……ないはず……。

そして何より、この景色はここでこそなんだよ~と来るたびに思います。長閑で四季折々美しいのだ。以前、美術ブログ「青い日記帳」の管理人・takさんが出演した岡田准一さんのラジオでも、岡田さんが「川村記念美術館は静かで良い」と仰っていましたけど、ホントそう。池に白鳥とか泳いでるからね……。

そして川村記念美術館の常設、良いものたくさんあるのです。

今で言ったら「印象派からエコール・ド・パリへ」の部屋、ルノワールやボナールからいきなりブラックに行くところなんて、フルーツたっぷり甘さ控えめなロールケーキからビターチョコレートへ飛ぶみたいな感じですごく良い。シャガールも素敵だ。

レンブラントは言わずもがな、「初期抽象」の部屋も良かった。

「近世と近代の日本美術」の部屋では長澤芦雪《牧童図屏風》、こちらは何度か観ているのですが、牧童が吉田戦車か五月女ケイ子かっていう顔で笑ってしまう。右隻にみっちり描いて、左隻は贅沢に牛と牧童のみというバランスが素晴らしい。的確に入れられた金砂子(?)も、「ショタっ子は尊い……」みたいな、なんというかけぶるような空気感を醸し出していました。
そして横山大観《輝く日本》、タイトルは微妙ですが(ごめん)、中央のソファに座って誰もいない空間でこの絵と対峙するのはかなり気持ちが良かったです。清々しかった。もちろん上村松園の言葉を心に刻むのも忘れずに。

シュルレアリスムでは「ジョセフコーネル七つの箱」の部屋が大好きで、もう説明にある“NYで一生を過ごしたコーネルが小さな箱におさめた大切な「夢のかけら」”という言葉からしてたまらない。

日本画の部屋でもシュルレアリスムの部屋でもそれぞれ違った感覚で心が静かになるのですが、マーク・ロスコ《シーグラム壁画》の部屋は禅寺みたいなんですよ。薄暗い部屋の中で、ばかでかい禅画に囲まれているような気持ちになって、つい長居をしてしまう。

で、薄暗い空間に目が完全に慣れたころに部屋を出て二階へ上がると、この季節は「ばーーーん!!」と透き通るような森の空気に囲まれることができるんです。

自分の中にあった澱んだものが払い清められる感覚。
以前、バーネット・ニューマン《アンナの光》があったこの部屋。
サイ・トゥオンブリーの部屋になって久しいですが、これはこれで私は好き。
外が極上の借景となる作りなのでいつ行っても良いんだけど、展示作品的には初夏~夏、冬あたりがしっくりくるのかな?いや、いつ行っても良いけどさ。とにかく今の時期だと、芽吹いたばかりの若葉の森が一気に体の中を通過していくような心地を味わえますよ。

続くフランク・ステラは初期作品以外はそれほど好きじゃないのだけれど、その次にあるアド・ラインハートモーリス・ルイスは大好きです。
で、エンツォ・クッキ《無題(黄色い壁)》を観て、いつも「プリン食べたいな……(そしてこの作品は手前から観た時はその全貌がわからない作りになっていて、作品の脇を歩いて初めて全体を知ることができるのだ)」と思いながら、ついにヴォルス展なんですけれども。

 

ヴォルス。

何で気になったかって、チラシがめちゃくちゃ良かったからなのですが、ヴォルス自身のことは全く知りません。なのでちょっと予習する。

ヴォルス展のチラシ

1913年、アルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェはベルリンに生まれました。のちに使われるWols(ヴォルス)という名はWolfgang Shulzeを略したものです。
なかなかに裕福な家庭の子供であり、芸術方面の才能にもあふれ、ヴァイオリンも弾けるとなれば相当なチートぶりが伺えます。―――が、父親の死や、とある事情での高校退学などゆるやかな転落が始まって、その後は様々な場所を転々とする生活となります。転々としている最中、民俗学者のもとで働いたり、バウハウスでパウル・クレーの指導を受けていたようですが、どちらも短期間のみでした。(のちのヴォルスの作品を観ると、クレーの影響を受けているようにもみえる)

この頃ナチスの支配的な世相に嫌気がさしたヴォルスはモホイ・ナジの助言でパリへ行くことに。渡仏後、マックス・エルンストジョアン・ミロと交流があったそうです。錚々たる面子やな……。
で、このあたりで未来の奥さんとなる年上の女性グレティ・ダビジャ(ルーマニア系フランス人)とも出会うんだけど、戦争もだんだんと激化。ドイツ軍への従軍勧告がきたりして、ヴォルスはこれを拒否します。祖国に協力しないという罪で、なんとヴォルスは政治逃亡者となってしまうのです。
それでも写真家として活動していたヴォルスはパリ万博で公式フォトグラファーとして活躍するんだけど、そうこうしているうちにドイツとフランスが敵対し、敵国の人間だってことでヴォルスは収容所行きに。以降収容所を転々としつつ、そこで絵を描き始めたのだそうな。

翌年彼女だったグレティと結婚し、フランス国籍を手に入れ、晴れて収容所とはおさらば。終戦後はパリで個展を開催したりして、かのジャン=ポール・サルトルからも絶賛されるなど(サルトル著書の挿画も担当)名声を得ていったんだけどアル中が悪化して治療したりしつつ、最終的に腐った馬肉を食べて食中毒死……。享年38歳でこの世を去る、という人生。

ちなみに上記の情報はwikiと川村記念美術館の紹介文をそれぞれ読んだもののまとめですが、wikiの末尾にあった「38歳の若さであったが、不摂生のきわみにあった彼の風貌は衰え、50歳くらいにしか見えなかったという。」というのが気になりました。だって入口にあったポートレート、結構素敵な感じだったのよね。

まあ百聞は一見に如かず、作品を観ながら彼の人生をなぞっていくことにしましょう。
本展はなんと撮影OKということなので、写真を載せていきたいと思います。さらには途中からガイドスタッフによるギャラリートークに参加することができたのでその辺も交えつつ。

 

第一章は【写真】
ヴォルス、子供のころから写真に触れる機会があったそうで、加えて高校中退後に写真家のアシスタントみたいなこともやっていたらしい。渡仏してからは写真を生業とし、前述のとおりパリ万博でも公式フォトグラファーとして任命されています。

どんな写真を撮っていたかというと、スナップが多い。ポートレートは丁寧に撮影されている。

《ジャック・プレベールと恋人ジャクリーヌ》
サインが入っていた。この時はまだWolsじゃない。

中ほどに《自写像(ヴォルス百面相)》なる組写真があるのですが、これが意味深なんだよな……。収容所から出たあとの写真だそうで、笑顔も見られるものなんだけど、「あれ?入口にあった写真と同じ人?」ってくらい疲れてるっていうか闇を感じる……。
ガイドスタッフさんも「ちょっと、あの、髪のあたりとかがですね。だいぶ、……疲労感が見えると言いますか」と仰っていましたが(笑
元来繊細な人だったのでしょう。このポートレートから、収容所での生活は心身ともに大きな影響を与えたのだろうなというのが見て取れます。

《自写像(ヴォルス百面相)》

 

ところで会場には「サーカス・ヴォルス」と題されたミル収容所にて書かれたヴォルスの手記があるのですが、これを読むと、彼は創作活動に対してある程度客観的に考える視点を持っていたことがわかります。また、裕福に見えた幼少時代もそんなに幸せではなかったことや、民俗学者のもとで働いた経験が、その後あらゆる面で(おそらく思想的な面が一番比重が大きかったように見える)彼の役に立っていたことも言及されていました。

 

で、第二章に入っていよいよ絵画が出てくるわけなんですが、まずは【水彩画】
このヴォルス展では写真、水彩画、版画、油絵と4つのジャンルが展示されていましたが、私はダントツで水彩を推しますね。しかも初期の水彩。これがすっごく良いのだ。

《人物と空想の動物たち》

はっきり言って良くわかんない。でも、目覚める直前に見た夢のような、淡く儚い雰囲気をもっている。それがどうにも切ない気持ちにさせるのです。

キャプションにもあるようにパウル・クレーの作品と比較されることが多いそうで、やっぱりバウハウス時代に得たものが影響しているのではないか……?という気がしてきます。

絵の中に出てくる奇妙な造形は、ヴォルスが瞳を閉じたときに網膜に浮かんだ形を絵にしたものだそうですが、ミジンコみたいだったり、へんなキャラみたいだったりとにかく不思議なかたちをしている。それらが宇宙や都市の中にゆるやかに浮かんでいるのです。

ガイドスタッフの方によると、ヴォルスのモチーフの中で大きな割合を占めるのは「船」「街」だそうで、それは彼が強く関心を持っていたものでもある。もともとヴォルスは旅をするのが好きで、船はそこから来ているのではないかとのこと。
よくよく作品を観ていくと、確かに船だったり街(裏路地のような景色)だったりがたくさん出てきます。

《トリニダード》

 

目をとじて わたしはしばしば見つめる、わたしが見なければならないものは
みなそこにある、美しいもの、疲れさせるもの

わたしが夢みるすべては 沢山の通りであり、郊外の広々とした
とても大きく とても美しい未知の街で起こる。
わたしにはどうしてもこの町を描くことができない。

 

会場の壁面に掲げられている彼の言葉を読むと、目の前にある現実の世界を描くというよりは、目を閉じた想像の中にある別の世界を描くことに専念しているように思えます。

それは、今まで彼が創作してきた写真とは対極の行為なんですよね。

それは単に興味が空想を可視化させることへ移っただけなのか、それとも現実の世界を作品にすることに限界を感じる何かがあったのか。そのあたりは資料を探っていかないと何とも言えませんが、この後次第に彼の作品はもっと形を変えて抽象へと移っていきます。
そしてそれは、やがて彼の亡きあとに「アンフォルメル(未定型の芸術)の先駆け」と呼ばれるようになるのです。

こんな感じで、ゆったり作品を辿りながら変遷を見る。

 

第三章銅版画は、その抽象っぷりが顕著。銅版画の制作期間は決して長くはなく、1945年から49年までなのですが、その間サルトルら文学者たちの挿画として使われるものも多かったとか。

技法はドライポイントを用いて制作されていますが、これがもう細かいのなんの……。

《二重の街》

彼の生前に版画集は発行されませんでしたが、死後に奥さんが刊行しています。
内助の功というかなんというか、このグレティ夫人ができた人で、作品管理やらなにやらホントしっかりやってくれてるんですよ。没後名前を遺せているのも奥さんがいろいろやってくれたおかげだし、ヴォルスが収容所を出られたのも彼女と結婚したからだし、まあ頭が上がらんわな……。

これら、小さな点とか細い線とかがわさわさしてる作品なのですが、不思議と何が描いてあるかわかる。わかるどころか、苦しいような切ないような、夢見るようなぼんやりするような、不思議な気持ちにさせられるのです。

左:《太陽》
右:《木》
二点とも、ジャン・ポーラン著『スコットランドの羊飼い』のための挿画より

あるものは小さく一か所に固まるように描かれたり、あるものはびっしりと地図のように描き込まれたり。かなりのアル中だったっていうから、酩酊する中で幻覚みたいなものを見たりしたこともあったのかもしれないなあ……。

 

静かな意識に閉されて
じぶんの選んだ もっとも深いものに
わたしは忠実であった
今も忠実であり、これからもあるだろう。

 

前述のとおりヴォルスは油彩にも着手しているのですが、これは銅版画スタートさせた翌年からなんですね。ヴォルスの絵をたくさん買ってくれていた画商が「油絵やってみなよ」と勧めて始めたそうです。途中中断することもあったらしいけど、それでも独創的な手法を次々と編み出し、亡くなるまでに約90点もの油彩の作品を制作したとか。
独創的な手法の一例としてパレットに絵の具を出さずにチューブから直塗りするなんならチューブの口の部分をスタンプのように押すめっちゃ厚塗りする、などがありますが、それらの作品を観たジョルジュ・マチューはヴォルスの作品を絶賛し、実際に彼を訪ねました。ジョルジュ・マチューはのちに「アンフォルメル」の主要メンバーとなりますが、ヴォルスが彼に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。

《閉路》
油絵具の白い部分は、絵の具のチューブから直接カンバスに出したため、このような表現になっている。

ヴォルスの油彩、今回来ているものに関していえば、重々しい感じがする……。画材のせいかもしれないけれど、水彩で感じたような白昼夢感というのはあまりなく、どちらかというと(描いているものは抽象寄りなんだけど)現実を描いているような気がしました。
ただ、観終わって全体を考えた時、やはり彼の描きたかったのは内なる世界に広がる「見なければならないもの」「美しい未知の街」であったように思えました。目の前の現実に興味がないわけじゃないと思うけれど、いろいろ辛いことが多い現世界よりも、目を閉じた先の世界は彼にとって安全で優しく、美しかった。だからそちらを描きたかったのではないでしょうか。(というのは、私の勝手な見解ですが……)

ヴォルスを観た後日、アドルフ・ヴェルフリの展示を観たのですが(@東京ステーションギャラリー)、こちらはもっと具体的な内側の世界でした。

 

そんなことをぼんやり考えながら庭を散策すると、満開の桜が。

ヴォルスの中の未知の街はどうも夜のイメージだったけれど、咲き誇る花などを観て「世界は美しい」と筆を執ることはあったのでしょうか。写真から離れてしまったタイミングで目の前の現実との離別が始まってしまったのかなあ。

ヘンリー・ムーア
《ブロンズの形態》
川村はのびのびとした敷地内に様々な屋外展示がある。

 

なんてことを思っていたら結構な時間が経ってしまい、まずい、そういえば自転車で来ていたんだった……!30キロ走らねば……と大急ぎで帰路につきました。

帰り、あまり疲れはしなかったのですが、何人かの方がアドバイスを下さったとおり交通量が増えまくっており、大型トラックに飲まれそうな道もあったので海沿いへ回避。かなり遠回りになりましたが、快適に帰れました。

そうそう、稲毛海岸のあたりは天気が良いとこんな風景も拝めます!

寄り道の多かった美術館訪問だったので、弱虫ペダルならぬ「#よりみちペダル」と称して今後もあちこち寄りながらいろんなところを目指せたらいいなと思っております。

自転車はいいぞ!(ヴォルスも、もちろんいいぞ!)

 

ヴォルス―――路上から宇宙へ

会期:~2017年7月2日(日)
開館時間:9時30分-17時(入館は午後4時30分まで)休館日月曜
公式HP→http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/

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