「ゴッホとゴーギャン展」行ってきた

@東京都美術館

※はじめに※
これは腐女子目線の感想です。私は何でも腐らせるほどの能力は持っておらず嗜む程度の者ですが、そういったライト層から見て、こう感じたということを書いています。

gg

 

「ひまわりを見ると、君を想い出す」

「君のために、椅子を買った」

愛知県美術館が「ゴッホとゴーギャン展」のコピーとして起用したこの二つのセリフ。

初めてこれを見たときは「BLコミックの帯かよ(特にゴーギャンのセリフ)」と思ったものです。さらに音声ガイドを小野大輔さん杉田智和さんが担当されると聞いて、公式はきっと「どうせお前ら(腐女子)はこういうのが好きなんだろ?」って思ってやってんだろうな、中途半端にそういうことするのってどうなのかね、……なんて斜に構えていたときもありました。

ありましたが!

本当にごめんなさい。とても素晴らしかったです。
この展覧会を企画され、煮詰めた方、あなたがたは天才だ。

 

「ゴッホとゴーギャン展」を見終わったあとに上のセリフを反芻してみてください。喉を掻きむしるほど遣る瀬ない気持ちになるから。これ以上あの二人の世界を表す言葉ってあるんでしょうか?いや、ないです。ありません。
そういう展覧会でした。


自分のツイート入れるのもなんだけど、言いたいことはこれ。

あなたが腐っているのなら、はっきり言ってこれを観に行くのにゴッホもゴーギャンも好きである必要は一切ナシ。

私自身、ゴッホの絵もゴーギャンの絵も特に好きではありません。そりゃ何点か好きなものや、好きではないけどすごいなと思うものはあるけれど、その程度。公式HPでも、ゴーギャン役の杉田さんが「ひまわりの人、名前が強そうな人程度の知識でも何の問題もありません。」と言ってる(それしか言ってない)。

けれど、この展覧会のことはずっと忘れないと思います。

来ている絵は素晴らしいものが多かった。
何故そう思えたのか。

今回は「あの○○がやってくる!」的なキュレーションではなく、二人の人柄・精神状態・個性を掘り下げて掘り下げて掘り下げまくって、そこから抽出された粋の部分に触れる一滴の作品を集めてきているからではないでしょうか。これが1つの小説であったら、こんなに的確で素晴らしい挿画はないだろうというくらいドンピシャ。いかにもゴッホらしい・ゴーギャンらしいという作品ではなく、「あの出来事があったとき、彼らはどのような絵を描いていたのか」に焦点を当てているところが鑑賞者の琴線に触れるのだと思います。

「ゴッホとゴーギャン」

これは本当にあった、ぶつかり合い すれ違う、破局の物語。

 

 

 

さてここからは音声ガイドのネタバレを含んだ感想を書きますので、まっさらな状態で楽しみたいと言う方は踏み込みませぬよう、お願いします。

 

 

第1章は「近代絵画のパイオニア」と銘打って、それぞれの画家としてのスタートを紹介する章になっています。ゴッホは独学でハーグ派・バルビゾン派路線を、ゴーギャンは株トレーダーとして社会人をやりつつ画塾に通い、バルビゾン派から入ってピサロの影響で印象派へと移っていきました。

初期のゴッホの絵は暗くて重くてとても良いです。このような色調が貧しい農民の暮らしに合っていると思ったのか、曇天を背に朽ち果てた教会の上をカラスが旋回する絵とか描いてる。さらに「宗教はすたれ、神は残るということだ……」という文句を遺しているあたりも厨二具合全開で素晴らしい。

≪古い教会の塔、ニューネン(「農民の墓地」)≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1885年5-6月
≪古い教会の塔、ニューネン(「農民の墓地」)≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1885年5-6月

一方ゴーギャンは「人は同時に2つのことはできない。私にできるただ1つのこと。それが絵画なのだ」っつって会社を辞めるあたり、ドロップアウトの大典型でこちらもこの先が楽しみになる展開。この後鳴かず飛ばずのゴーギャンは奥さんの実家に身を寄せて、肩身の狭い思いをします。「肩身が狭すぎて首を括ってしまいたいけど、絵のために留まる」という手紙を書いているあたり、案外かまってちゃんなのかもしれない。この頃のゴーギャンの絵、結構可愛くて私は好きなんですけどね。

≪夢を見る子供(習作)≫ ポール・ゴーギャン 1881年
≪夢を見る子供(習作)≫
ポール・ゴーギャン
1881年

 

ちなみにこの章、一緒に掲げられているミレーやピサロ、モネが上手くて主役の二人の絵を観るのが結構辛い。モネの≪ヴェトゥイユ、サン=マルタン島からの眺め≫は、亡き奥さんの面影を感じさせる1枚です。

≪ヴェトゥイユ、サン=マルタン島からの眺め≫ クロード・モネ 1880年
≪ヴェトゥイユ、サン=マルタン島からの眺め≫
クロード・モネ
1880年

 

 

さあお待ちかね。いよいよ2人が出会う章へと入ります。

1886年。ゴッホはパリで精力的に個展を開いたり、ロートレックやらモンマルトル特有の画家たちと交流を深めたりしていました。一方ゴーギャンは経済的な理由と「野生的な何か」を求めてブルターニュに滞在したりパナマへ渡ったりしています(ゴーギャンはこの先ずっと野生的な何かを追い求めることになる)。ゴーギャン、アンチ現代なのか、とにかく都会を連想させるものが大嫌い。少しでも都会を匂わせるものはキャンバスから抹消しています。これ、たぶん野生大好きに加えて、都会が自分の作品を受け入れてくれなかったことに起因してる気がするのよね。だってブルターニュが好きな理由も、素朴な風景云々以外に「ここでは皆私の意見に逆らわない」というもので……。

ここを杉田さんが朗々と音声ガイドで喋るんだけど、これがまた残念なオレ様具合でとても良い。こういう人物の機微がね、今後の物語に深みを与えるんです。

ゴーギャンがブルターニュのショタ達を描いた絵は、ゴッホの弟でありギャラリストのテオが買い取っています。

≪ブルターニュの少年の水浴(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン)≫ ポール・ゴーギャン 1886年
≪ブルターニュの少年の水浴(愛の森の水車小屋の水浴、ポン=タヴェン≫
ポール・ゴーギャン
1886年

 

さてその1年後。出会いの場はゴッホが主催したモンマルトルでの展覧会。ここで2人は出会うんですが、正直ゴッホがどれだけゴーギャンに魅力を感じたかわからないんだけど、傍から見るとかなり一方通行の片想いっぽい。それが顕著になるのが次の第3章で、その翌年、ゴッホが南仏に渡った際に再三ゴーギャンに「アルルにおいでよ!」って誘っても、ゴーギャンは乗り気じゃないんよね。もうこの頃になると2人の絡みが気になって気になって、一旦気持ちを整えてからじゃないと先へ進むのが怖くなるけど、お誂え向きのところに休憩ゾーンがあるので本当にこの展覧会は良く分かってらっしゃる。

 

ゴッホ「浮世絵みたいな美しい光の中で絵を描きたい……!アルルはきっと日本みたいな光に満ちた場所だろう。ここをアーティスト村にしたい!そうだ、ゴーギャンを呼ぼう。2人で暮らせば楽しいし、生活費も安く済む!」

ゴーギャン「またゴッホからアルルに来いっていう手紙が来てる……。まあ、テオが生活費出してくれるっていうし、そう長くいるつもりもないから絵が売れるまでアルル行ってみるか」

この温度差。
ここ、小野Dがキラッキラした声で「そうだ、ゴーギャンを呼ぼう!」って言うんだけど、そのすぐあとに杉田が「生活費出してくれるっていうから仕方ないけど行くか」みたいなこと言うの。もうこっちとしては「ああ~~ゴッホ~~(泣」ってなる。だってゴッホ、ゴーギャンのために椅子とか買うわけ。自分のは背もたれもない藁でできた簡素なヤツなのに、ゴーギャン用には肘掛のついた豪華な椅子を買うんです。そんでゴーギャンの部屋にたくさん絵を飾ってあげようと「ひまわり」の連作も描く。(←ここ伏線)

いやー完全に重い。愛が重すぎる。これ、ゴーギャンみたいなタイプには逆効果なんだけど、ゴッホは分かんないんだ、そういうの。で、いよいよゴーギャンがアルルに来るんだけど、その時もゴーギャンがドン引くほどゴッホは喜ぶんですよ……。

この頃のゴッホの絵はとても良いです。浮世絵コレクションを始めてからジャポニスムに傾倒していたんだけど、それが良い影響で出ている気がする。≪グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝≫なんて、小品として素晴らしい完成度だし、もっと言えば院体花鳥画のような趣すらある。

≪グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年3月
≪グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1888年3月

そして≪ひまわり≫へ受け継がれる色彩表現を持った≪レモンの籠と瓶≫。私は≪ひまわり≫があまり好きではないのだけれど、これはすっごく良かった。清々しくて眩しくて、この絵があったら家の中が明るくなるんじゃないかと思わせるほどでした。ゴッホと言えばの、あのグルグルした筆致じゃなくて、クレパスを使ったようなあっさりとした大胆な筆致も良かった。

≪レモンの籠と瓶≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年5月
≪レモンの籠と瓶≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1888年5月

 

この章では二人が同じ風景を見て描いた絵がそれぞれ展示してあるのだけれど、面白いくらい視点が違います。

ゴッホは「ありのままを描く派」で、ゴーギャンは「目で見たものを咀嚼して自分なりにアウトプットする派」。ゴッホも人物に関しては咀嚼してアウトプット派なんだけど、風景は現実に対して忠実。

対するゴーギャンは、例えば大胆にトリミングしたり、風景から読み取ったイメージを自分の中で再構築して、そこに居ないはずの人物を入れてみたり、実際にあるものを削ってみたりしている。それはブルターニュやパナマで描いていた頃からの技法であり、「総合主義」と呼ばれるゴーギャンの個性でもある。

 

そう、こんなふうに、二人の絵に対する姿勢や考え方は全然違ったんです。

 

通常であれば、自分は自分、人は人ってことである程度のところで不可侵領域を互いに作るもの。でも同じ画家同士だし、せっかく共同生活してるんだから、たまには絵についての持論を展開したり、「こうして描いてみるのも面白いかもよ?」と提案するくらいはしても良いと思う。実際ゴーギャンはゴッホにアドバイスとして自分の描き方を薦めたこともあって、それも含めゴッホは妹への手紙に「ゴーギャンとの共同生活は新鮮で楽しい」と書いています。

 

ゴッホはゴーギャンがやってきてから5週間後、2つの椅子の絵を描きました。

1つは簡素な自分の椅子。そしてもう1つは、立派な肘掛のついたゴーギャンの椅子。

≪ゴーギャンの椅子≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1888年11月
≪ゴーギャンの椅子≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1888年11月

からっぽの椅子は普段そこに座る人をイメージできるように描いたのでしょうか。あるがままではなく、自分の中の記憶を使って描くというゴーギャンのアドバイスを自分なりに解釈して試みた作品なのかもしれません。

 

でも、いつしか絵に対する姿勢の相違は、互いに対する批判へと変わっていきました。

 

ゴッホはゴーギャンの描き方について、それは間違っていると指摘します。そんなこと言われたら、プライドが高くてあくの強いゴーギャンは黙っちゃいない。

 

「フィンセントとは意見が合わない」

 

「その議論はいつも電気みたいにピリピリしていて、終わった後は放電したようにぐったりしてしまう」

 

ひたひたと二人の生活を浸食していく不穏の影。

幸せな“黄色い部屋”の最後に破局寸前の言葉が記され、ヘッドホンからは苛立ちが募った杉田の声と、精神を憔悴させた小野Dの悲痛な呟きが聞こえてくる。

 

そしてついに、破局の夜がやってくるのです。

 

 

もうここからは「とにかく会場で体験してくれ!」としか言えない。

今まで観てきた絵、壁に書かれた互いの書簡の言葉、音声ガイドの内容。それらが会場に設えられた5分間の映像を見たあとに一気に押し寄せ、何とも言えない感情の濁流に翻弄されます。

ゴッホとゴーギャンそれぞれの性格、歩んだ道、過ごした環境、そして譲れない考え。お互いの気持ちの温度差は初めから顕著だった。けれどゴーギャンも家事の分担を提案したり(ここがマジでBLCD展開)、それなりにアルルでの暮らしを上手くやろうとしていたんです。”私にはあなたが必要だ”と慕ってくる年下の青年の心に住みつく病の存在に悩みつつも、彼を拒絶することができなかった。

でも、ゴッホの心はゴーギャンが思っていたよりも複雑で単純で、悲しいまでに純粋だった。

2人の間に生じた亀裂が決定的な乖離を生んだ夜が明け、ゴーギャンが家に戻ってみると……そこには数名の警察官と、自らの耳の一部を切り落としたフィンセント・ファン・ゴッホの姿があったのです。

 

 

この後はご存知の通りで、ゴーギャンはパリへ戻り、ゴッホは病院に入ります。
ここでゴッホがゴーギャン宛に、自分はどうかしていた・もうあんなことはしないから戻ってきてほしいと手紙を送るんだけど、それを読み上げる小野Dが最高オブ最高。

私たちはお互い好き同士なのだから、いざとなればまたやり直せると思っています。心から握手を。あなたのフィンセント」

この、最後の「あなたのフィンセント」っていう言い方がね、私だったらアルルに音速で戻るわってくらい素晴らしい。もうあらゆる苦悩や切なさがひしひしと伝わってきて、図録にCD付けてくれってくらい良い。まあ、どんなに小野Dが悲痛な声を上げたところでゴーギャンは帰ってこないんですけどね……。

 

で、私はここで2人は完全に破局そして音信不通になったんだと思っていたのですが、なんか細々と文通してたみたい。ゴーギャン、ゴッホの絵欲しいとか言ったりしてて、直接会うのはアレだけど、友達は続ける……みたいな複雑な関係だったっぽい。

ゴッホはゴーギャンとの破局の夜から自殺するまでの間に、療養院に入ったりしながらも絵を描いていたんだけど、以前近美でやったゴッホ展に来ていた「完全に精神的なダメージで入院してる人」って感じの絵ではなく、今回来ているのは穏やかで落ち着いたものが多い印象でした。ゴーギャンが欲しいと言った≪渓谷(レ・ペイルレ)≫は岡田米山人の≪蘭亭曲水≫っぽい禍々しさがあったけど。

≪渓谷(レ・ペイルレ)≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年12月
≪渓谷(レ・ペイルレ)≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1889年12月

さて。ゴッホは1890年5月、療養院を出てパリ近郊の小さな町に引っ越します。

ここで意欲的に人物画に取り組みますが、この約2か月後、麦畑の近くで自ら拳銃の引き金を引き、自殺してしまいます。

≪刈り入れをする人のいる麦畑≫ フィンセント・ファン・ゴッホ 1889年9月
≪刈り入れをする人のいる麦畑≫
フィンセント・ファン・ゴッホ
1889年9月

 

この≪刈り入れをする人のいる麦畑≫は亡くなる1年前のものですが、ゴッホは麦畑を繰り返し描く中で、それを人間の生涯に重ねていました。

 「麦の一生はぼくらの生涯のようなものだ。(中略)想像で何を望もうとも、植物のように動くこともできず成長し、成熟したときには刈り取られるほかないではないか」

「人間は彼(農夫)が刈る麦みたいなものだという意味で、死のイメージを見たのだ。(中略)しかし、この死の中には何ら陰鬱なものはなく、純金の光にあふれた太陽とともに、明るい光の中でことが行われているのだ」

 

拳銃の引き金を引いたとき、彼の目に太陽はどのように輝いていたのでしょうか。

あの曇天に朽ち果てた教会を描いていたゴッホは、最期に澄みわたる空を見ることができたのでしょうか。

 

実はテオもこの1年後に亡くなってるのよね。享年34歳、若すぎる。もうこれは精神的な過労だろうな。言っちゃなんだけど、フィンセントに仕送りしながらもゴーギャンからも支援の要求をされたり、ゴッホがゴーギャンと揉めて耳切った時もアルルにすっ飛んで行ったりと、一番苦労したんじゃないかな……。

 

 

ゴッホが死んだという知らせを聞いても、ゴーギャンは特に驚きはしませんでした。

 「彼は病に苦しんでいたから、いつかこうなる気はしていた。―――けれど、彼は作品の中で生き続ける。彼の絵の中で、私は彼に会おう」

 

テオやテオの奥さんの尽力により、死後ゴッホはその名を広めていき、評価をさらに高めていきます。そうなると取り沙汰されるのはアルルでの「耳切り事件」。ゴーギャンはそれを疎ましく思いながらも、ゴッホの≪ひまわり≫を大切に思っていました。

 

「わたしの部屋では、赤紫色のつぼみをつけたひまわりが、黄色の地から浮かび上がっている。(略)絵の隅にはフィンセントという画家の署名が入っている。(略)朝、目が覚めた時、ベッドの中でわたしは、こうしたものは皆とてもいい匂いがすると思う。そうなのだ、あの善良なフィンセント、あのオランダの画家は、黄色を、彼の魂を熱する太陽の光を愛し、霧を忌み嫌っていたのである。」

あの初期の暗い絵のこと、ゴーギャンは知っていたのでしょうか。
眩しい太陽を求めてアルルへやってきたこと、その太陽をゴーギャンにも見せたかったこと、ゴーギャンは知っていたのでしょうか。
―――”あの善良なフィンセント”
私は、心を病んだ人や思いつめた人が起こしてしまう事件を”心を病んでいたから”、”それでも愛があったから”という理由で全て許すべきだとは思いませんが、ここでゴーギャンが”ゴッホの行動の全ての根底にはゴーギャンへの善意があった”ことを理解してくれていたのであったのならどんなに良いかと願ってやみません。

 

 

ゴッホの死後、ゴーギャンはブルターニュのポン=タヴェンへと移り、それから更なる野生を求めてタヒチへ渡ります。ポリネシアの人々、生命溢れる自然、そして彼の中にあるカトリックの思想を融合させ、数々の作品を生み出しました。

≪タヒチの三人≫ ポール・ゴーギャン 1899年
≪タヒチの三人≫
ポール・ゴーギャン
1899年

 

その後一度ブルターニュへ戻るも、再びタヒチへ。今度は永住する覚悟で向かいます。ゴーギャンはこの頃だいぶ体調を悪くしていたようで、ついにフランスの地を踏むことなく亡くなりました。

 

会場のラストを飾るのはこの絵。

≪肘掛け椅子のひまわり≫ ポール・ゴーギャン 1901年
≪肘掛け椅子のひまわり≫
ポール・ゴーギャン
1901年

1898年、ゴーギャンは友人に頼んでフランスからひまわりの種を取り寄せます。

そして1901年、ひまわりをあしらった静物画の制作を始めました。そのうちの1枚が、この≪肘掛け椅子のひまわり≫です。(別ヴァージョンではほぼ同じ構図で、オディロン・ルドンか?ってくらいバックベアードみのあるひまわりも描いています)

思い出してください。肘掛け椅子と言えば、アルルでゴッホがゴーギャンのために用意したアレ。そしてひまわりと言えば、ゴッホ。我々にとってそれはアトリビュートみたいなもの。

もうさあ、何なの?≪肘掛け椅子のひまわり≫って、「俺のゴッホ」ってこと?

ここで図録も泣けること書いてくる。

「ゴーギャンは椅子に自分のサインを入れて自身の分身のように扱い、まるで肘掛け椅子(ゴーギャン)がひまわり(ファン・ゴッホ)を抱くようなかたちで描いている。これらのひまわりのある静物画が完成したのは、ゴーギャンが亡くなる2年前のことである。」

 

これ、BL小説だったら100点満点のエンディングなんですが、さらに止めの一撃で、ゴーギャンこと杉田がどえらい発言かましてくる。

「作家のジャン・ドランは言う。私が”フィンセント”という言葉を発するとき、その声は優しいと。彼の想像は当たっている。……その理由は、言うまでもない」

 

出口手前の音声ガイド返却コーナー前で呆然と突っ立っている人がいたら、それはこの畳みかけるようなラストに耐えられなかった屍だと思ってください。
ここで展覧会は終わるんだけど、余韻がヤバい。ちゃんと家まで帰れるか不安でした。もう1つ展覧会ハシゴしようかと思ったけど無理だった。

 

繰り返しますが、少しでも腐っていると思う人は今度の日曜までなので行ってほしい。音声ガイドを借りて、キャプションを読んで、壁の書簡の言葉も全部読んで、5分間映像も最初から最後までちゃんと見て、絵画を堪能してください。全部ひと纏めにして、この展覧会は完成されます。そしてあなたの心に、深い何かを遺していくでしょう。

しかし、今年の都美はすごいなあ……。

 

「ゴッホとゴーギャン展」
会場:東京都美術館
会期:2016年10月8日~12月18日
時間:9:30~17:30 ※入室は閉室の30分前まで

2017年1月3日からは愛知県美術館に行くよ!関西の方、関東で見逃してどうしても観たい方はそちらをぜひ。正月早々興奮してください。

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